ギザギザハートの子守唄
2006年11月6日忘れないように、記しておく。
忘れられないように、記しておく。
忘れられるように、記しておく。
11/1
いつも通りの、一日が始まる。
きっとそんなことを意識することもなく、
いつも通りの一日を過ごしていたのだと思う。
24時間という、一日の23時間を過ぎた時点までは。
この時期よろしくホウレンソウを収穫、結束、出荷。
まあ、この日は会議があったので、出荷は父親に任せていたが。
定例会はいつも通りの問題の先送り。
まあ、日本のお国柄がこんな底辺まで染込んでいるのだ。
最悪な事に、来年度はこの会の会長に就任する。
なんとかやっつけ仕事で乗り切るしかないだろう。
幸い、真面目ぶるのは昔から慣れている。
会議は20:30過ぎに終了し、雑談を切り上げて早々に帰宅する。
帰りの道程では、ついさっき事故があったようだ。
反対車線では、バイクが倒れている。
横目でちらっと見ただけだが、全体的に黒く、赤いラインが入った大きいバイクだった。
その他は特に気にすることもなく、自宅へ到着。
早速、準備をして夜のウォーキングへ向かう。
時計を確認。21:00前。
これから一時間歩き、筋トレをしてから風呂に入る事を考えると、
ゆっくりできるのは23:00くらいだろう。
そんな事を考えながらmuch the sameのアルバムを聴きながら
夜の街を歩いた。
まあ、街というには若干田舎くさい場所であったりなかったりするが、
それはそれで味があるというものだ。
私はこの街が好きなのだから。
そんなこんなで何事もなく、一時間歩き、筋トレをして、
風呂に入り、ネットで情報収集をしていた。
そして、23:00を過ぎた。
そういえば、ジャンプで連載している魔法律とかなんとかいう
漫画で「真夜中にかかってくる電話は不吉」みたいな事を
いつだったか、書いてあったと思う。
不意に携帯が鳴った。
友人のAからの電話だった。
そういえば、こいつとは別の友人Bの誕生日が近々あって、
それを祝う日程の調整をしていたっけ。
私はいつも通りの軽い口調で電話に出た。
「いよーぅ。どうしたA?」
「うん、セイギさん。Bさんの誕生祝いの日程だけど、○日でいいかな?」
と、そんな内容を予想していた。
しかし、考えてみればおかしい。
その程度の内容ならば、Aはいつもメールでやりとりするだろうし、
なにより、切迫したAの声がすべてを物語っていた。
「Cさんが、バイクで事故ってやばい状況らしい。」
私とAとは、高校からの数少ない友人で、言わば親友と呼べる間柄だった。
Cさんもそれに漏れず、高校を卒業してからも
ちょくちょく会ったり飲んだりしたのものだ。
Cさんはムードメーカー的存在で、みんなを明るくさせるのが得意だったし、
面倒見がいい、兄貴肌の人物だと私は思っていた。
「取り敢えず、今からそっち向かうから待ってて。」
「ああ。」
そういって、電話は切れた。
最悪の思考が私の頭に過ぎり、そしてその想像は当たっていた。
最悪な事に。
だって、彼は私と同じ市内に住み、バイクで事故をしたのだから。
Cさんは、ほぼ即死状態だったそうだ。
それは、Cさんにとって救いだったのか。
それとも、私にとって救いだったのか。
それだけは、今もってよく判らない。
11/2
いつも通りに起床して、仕事をした。
トラクターを運転しながら、少し現実を受け付けた頭で
少し、嗚咽を漏らした。ドドドドド、と唸るエンジンが
私を守ってくれた。
今日も、出荷は父親に頼んだ。
検死を終えた遺体がCさんの実家に帰ってきた、という報告を受け、
AとBさんと私でCさんの実家へ慰問しに行った。
ここでは泣くまい、と思ったが、
親御さんがCさんに向けて書いたであろう言葉を見て、泣きたくなった。
長い間、ご苦労様。もっと生きて欲しかった。
11/3
仕事をした。
夜中のウォーキングをする気にはなれなかった。
きっと、いろいろ考えて、泣いてしまうだろうから。
11/4
お通夜。
親御さん、親戚の方々、高校のクラスメイト、友人、
恩師、その他沢山の人。
お通夜が始まって、後ろから色紙が回ってきた。
「Cに送る言葉を、書いて。」
それを受け取って、彼に送る最後の言葉を考えて、咽び泣いた。
それをなんとか抑えて、色紙に書いた。
ありがとう、今まで、ありがとう。
その夜、夢でCさんに会った。
「やぁ、お別れに来たよ。」
Cさんはいつもと同じ口調で私に呼びかけた。
私は泣きそうになりながらも、ありがとう、というつもりだった。
しかし、どう頑張っても私の口からはその一言が出ずに
「あり…あり…あが…あが…」と、嗚咽を漏らすだけだった。
結局、私は最後まで、彼にありがとうとは言えなかった。
泣きながら眼を覚ましたのは、人生で二回目だった。
11/5
告別式。
やっぱり、私は泣いた。涙を、悲しみを堪える事はできなかった。
親父さんの、あの言葉を聴いて、おばさんの、あの慟哭を聴いて、
堪えられる筈などなかった。
火葬場で、「C〜!元気でな〜!」と、叫んでいる人が居た。
私もそれに習って、ありがとう、と叫ぶべきだったのだろうか。
11/6
いつも通り、仕事をした。
今日の出荷は私が行った。
やっぱり、夜のウォーキングをする気は起こらず、
考え事をしたくなかったのでビールを飲み、思考を鈍化させた。
暫くは、Cさんのことを深く考えただけで泣けてくるだろう。
でも、それは悲しいことばかりではなく、
彼が最後に私に残して、教えて、示して、学ばせてくれた事だ。
その事を私がここで書くつもりはない。
きっと皆はそんなことは既に知っているだろうし、
知りたくなくてもいつかは体験して、体感することだろう。
だからこそ、やっぱり、彼には、ありがとうの言葉を送ろうと思う。
忘れられないように、記しておく。
忘れられるように、記しておく。
11/1
いつも通りの、一日が始まる。
きっとそんなことを意識することもなく、
いつも通りの一日を過ごしていたのだと思う。
24時間という、一日の23時間を過ぎた時点までは。
この時期よろしくホウレンソウを収穫、結束、出荷。
まあ、この日は会議があったので、出荷は父親に任せていたが。
定例会はいつも通りの問題の先送り。
まあ、日本のお国柄がこんな底辺まで染込んでいるのだ。
最悪な事に、来年度はこの会の会長に就任する。
なんとかやっつけ仕事で乗り切るしかないだろう。
幸い、真面目ぶるのは昔から慣れている。
会議は20:30過ぎに終了し、雑談を切り上げて早々に帰宅する。
帰りの道程では、ついさっき事故があったようだ。
反対車線では、バイクが倒れている。
横目でちらっと見ただけだが、全体的に黒く、赤いラインが入った大きいバイクだった。
その他は特に気にすることもなく、自宅へ到着。
早速、準備をして夜のウォーキングへ向かう。
時計を確認。21:00前。
これから一時間歩き、筋トレをしてから風呂に入る事を考えると、
ゆっくりできるのは23:00くらいだろう。
そんな事を考えながらmuch the sameのアルバムを聴きながら
夜の街を歩いた。
まあ、街というには若干田舎くさい場所であったりなかったりするが、
それはそれで味があるというものだ。
私はこの街が好きなのだから。
そんなこんなで何事もなく、一時間歩き、筋トレをして、
風呂に入り、ネットで情報収集をしていた。
そして、23:00を過ぎた。
そういえば、ジャンプで連載している魔法律とかなんとかいう
漫画で「真夜中にかかってくる電話は不吉」みたいな事を
いつだったか、書いてあったと思う。
不意に携帯が鳴った。
友人のAからの電話だった。
そういえば、こいつとは別の友人Bの誕生日が近々あって、
それを祝う日程の調整をしていたっけ。
私はいつも通りの軽い口調で電話に出た。
「いよーぅ。どうしたA?」
「うん、セイギさん。Bさんの誕生祝いの日程だけど、○日でいいかな?」
と、そんな内容を予想していた。
しかし、考えてみればおかしい。
その程度の内容ならば、Aはいつもメールでやりとりするだろうし、
なにより、切迫したAの声がすべてを物語っていた。
「Cさんが、バイクで事故ってやばい状況らしい。」
私とAとは、高校からの数少ない友人で、言わば親友と呼べる間柄だった。
Cさんもそれに漏れず、高校を卒業してからも
ちょくちょく会ったり飲んだりしたのものだ。
Cさんはムードメーカー的存在で、みんなを明るくさせるのが得意だったし、
面倒見がいい、兄貴肌の人物だと私は思っていた。
「取り敢えず、今からそっち向かうから待ってて。」
「ああ。」
そういって、電話は切れた。
最悪の思考が私の頭に過ぎり、そしてその想像は当たっていた。
最悪な事に。
だって、彼は私と同じ市内に住み、バイクで事故をしたのだから。
Cさんは、ほぼ即死状態だったそうだ。
それは、Cさんにとって救いだったのか。
それとも、私にとって救いだったのか。
それだけは、今もってよく判らない。
11/2
いつも通りに起床して、仕事をした。
トラクターを運転しながら、少し現実を受け付けた頭で
少し、嗚咽を漏らした。ドドドドド、と唸るエンジンが
私を守ってくれた。
今日も、出荷は父親に頼んだ。
検死を終えた遺体がCさんの実家に帰ってきた、という報告を受け、
AとBさんと私でCさんの実家へ慰問しに行った。
ここでは泣くまい、と思ったが、
親御さんがCさんに向けて書いたであろう言葉を見て、泣きたくなった。
長い間、ご苦労様。もっと生きて欲しかった。
11/3
仕事をした。
夜中のウォーキングをする気にはなれなかった。
きっと、いろいろ考えて、泣いてしまうだろうから。
11/4
お通夜。
親御さん、親戚の方々、高校のクラスメイト、友人、
恩師、その他沢山の人。
お通夜が始まって、後ろから色紙が回ってきた。
「Cに送る言葉を、書いて。」
それを受け取って、彼に送る最後の言葉を考えて、咽び泣いた。
それをなんとか抑えて、色紙に書いた。
ありがとう、今まで、ありがとう。
その夜、夢でCさんに会った。
「やぁ、お別れに来たよ。」
Cさんはいつもと同じ口調で私に呼びかけた。
私は泣きそうになりながらも、ありがとう、というつもりだった。
しかし、どう頑張っても私の口からはその一言が出ずに
「あり…あり…あが…あが…」と、嗚咽を漏らすだけだった。
結局、私は最後まで、彼にありがとうとは言えなかった。
泣きながら眼を覚ましたのは、人生で二回目だった。
11/5
告別式。
やっぱり、私は泣いた。涙を、悲しみを堪える事はできなかった。
親父さんの、あの言葉を聴いて、おばさんの、あの慟哭を聴いて、
堪えられる筈などなかった。
火葬場で、「C〜!元気でな〜!」と、叫んでいる人が居た。
私もそれに習って、ありがとう、と叫ぶべきだったのだろうか。
11/6
いつも通り、仕事をした。
今日の出荷は私が行った。
やっぱり、夜のウォーキングをする気は起こらず、
考え事をしたくなかったのでビールを飲み、思考を鈍化させた。
暫くは、Cさんのことを深く考えただけで泣けてくるだろう。
でも、それは悲しいことばかりではなく、
彼が最後に私に残して、教えて、示して、学ばせてくれた事だ。
その事を私がここで書くつもりはない。
きっと皆はそんなことは既に知っているだろうし、
知りたくなくてもいつかは体験して、体感することだろう。
だからこそ、やっぱり、彼には、ありがとうの言葉を送ろうと思う。
コメント